【頂き物】ハロウィンの贈り物【菊地寛さん】

菊地寛さんが書いてくれたメガスタでハロウィンです。二人は結婚してて子持ちであります!『最上の贈り物』の続き的ポジションかな? いつもいつもごちそうさまですハァハァ

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ハロウィンの贈り物

またハロウィーンがやってきた。

屋敷の、料理人たちが使用する厨房とは別に用意された家庭的なキッチン。柔らかな色彩と手触りで構成されたそこに、今、絶えず音が響いている。

サクサク、パリパリ、ゴクリ…

出所はで独りテーブルに着いたスタースクリームの口許であった。大皿に並べられたドライフルーツたっぷりのステンドグラスのようにカラフルなチョコレートと、カボチャの優しい黄色に染まったクッキーを交互に摘まんではワインで流し込む作業を、彼は黙々と続けていた。
今年の春、男女の双子を無事に出産しめでたく二児の母となったスタースクリームだが、その白い顔には衰えの影はない。むしろますます艶を増し、彼をよく知る面々には、夫の寵愛が変わらぬどころかむしろ日に増していると苦笑のひとつもしたくなるほどに輝きを放っている。
実際、夫のメガトロンは、妻を周囲も驚くほど大切に扱っていた。国の片翼として多忙を極めるなか、出来るだけ妻子の側にいてやりたいと、視察先での宿泊を断り、車を急がせて夜中屋敷に戻ってくる破壊大帝メガトロンなど一体誰が想像しえただろう。
優しい夫と健やかに育っている子供たち、今のスタースクリームはまさに幸せの絶頂にあると言ってよい。
だが、それはあくまで他人から見た感想であり、当人が必ずしも同意見でないことはままあるものである。
「たくっ、メガ様のバカ!」
ぶつぶつ文句を呟きながらジャック・オ・ランタン型のカボチャのクッキーを噛み砕き、スタースクリームはメガトロンのコレクションからくすねてきた30年物の赤ワインを、無造作にワイングラスに注ぎ足した。
去年のハロウィーンは新婚だったにも関わらず、大した思い出がない。結婚により航空参謀を辞して、その後始末と次航空参謀サンダークラッカーへの引き継ぎに手間取っていた事もあるが、なによりつわりの酷い時期でもあったのが最大理由だ。おまけにそんな新婚で身重の妻が苦しんでいる時に、フォローしてくれるはずの夫が仕事でしょっちゅう家に居らず、独りトイレと寝台を往復しながら寂しい思いをした。
だから今年は、子供たちを祖父のジェットファイアーに預け(曾孫と一緒に居たい居たいと出産直後からずっと騒いでいたから、今頃は乳母に寝かしつけられた子供たちの寝顔でも眺めて盛大に爺バカしてるだろう)夫婦水入らずで過ごそうと思って、彼好みのホットワインの作り方も習い、彼好みの下着も新調したというのに…。
──オプティマス主催の慈善コンサートに行く事になった。帰りは遅くなる、先に寝ていろ。
今朝、うきうきとランタンを飾っていた妻に突然そんな事を言い置いて、夫は手も振らず(いや、今まで一度も振った事などないが)仕事に行ってしまった。
この虚しい気分をどうしてくれよう…そう沸々と煮えたぎる怒りを誤魔化すように、スタースクリームはまたひとくち、レーザーウェーブが差し入れてくれたカボチャのクッキーに歯を立てた。菓子を肴に酒でも飲まないとやっていられない。
「別にいいですよ、私は最初から貴方がマイホームパパになんてならないって、よーく分かっていましたからね…でもね」
最後の一杯をグラスに注ぎ、スタースクリームはぶつぶつと文句をつける。いつも、
──コーヒーを淹れろ。
と命じてから座る彼の指定席、そこに諦め悪く置いた彼の愛用のワイングラスに向かって。
「私が独りが嫌いだって事は、貴方もよくご存知でしょう…?」
彼はまだ帰らない。
広い屋敷には使用人がいくらでも居るが、それでも自分は独りだ。昔、貴方が行方をくらましていた時のように。そして貴方が、戦場で、艦橋で、あの気高く麗しい国家元首と対峙していた時のように。
私は知っている、貴方がかつて愛したのは誰だったか。
でも、
「メガ様、分かってますか…今はわたしが貴方の、ただひとりの妻なんだってこと…──」

カツン

ずるずるとテーブルと仲良くなりかけていたスタースクリームは、ハッと身を起こす。
足音が聞こえた。
この屋敷でこれ見よがしな足音を響かせて歩いてよいのは、ここの主のみだ。
耳をすませる。
今は聴こえない。
そもそも、まだ帰宅するような時間ではないのだ。コンサートの後は、仮装パーティーが用意されていると、菓子を差し入れに来たレーザーウェーブから聞いた。メガトロンは特に用意をしていないようだったが、最高級のコンパニオンが肌もあらわな魔女やセクシー過ぎる怪物に扮した会場で、彼が楽しみを見い出すのは簡単な事だ。
夫はもしかしたら朝まで帰らないかもしれない。
かつての、自分も愛人の一人に過ぎなかった頃のように。
──メガ様のバカ!
飲み足りないような気がして、スタースクリームはキッチンの奥の扉からも通じている地下のワイン貯蔵室へ、よろめく足を向ける。
真新しく塗られたドア一枚向こう、そこは剥き出しの土壁とカビ臭さとまといつく闇に支配された空間だ。灯りをつけてもたいして明るくなりはしない通路を、冬を迎える前にも関わらず冷えた風が足首を撫でて流れていく。
普段なら日中でも寄り付きたくない暗がりに、ワインで気が大きくなったスタースクリームは躊躇いなく踏み出した。

コツ、コツコツ…

石階段を降りる足音のみが同行者だ。

コツコツ、コツコツコツ…

地下へ降りるに従って、冷えと湿度が身に染みる。早くワインを抱えて帰ろう。どうせなら、メガトロンが好む当たり年の赤をホットワインにして飲んでやろうか…みずからの名案にニヤリとしたスタースクリームは、

コツコツコツカツンコツ…
階段のなかばで気付いた。
自分以外の足音がする。

カツン、カツカツ…
カツカツカツカツカツカツカツカツ…

降りてくる足音に冷水を浴びせられた気分で、それでもスタースクリームは規則的な足どりで階段を降る。立ち止まるにも此方が気付いた事を相手が知るのも、ここではまずい。足場が悪すぎる。
──誰だ?
サンダークラッカーなら必ず訪問の約束を取り付けてから訪れる。レーザーウェーブも似たようなものだ。サウンドウェーブは執務室以外の場所に顔を出さない。
そもそも誰であろうと、主が不在時の訪問者は必ず執事が取りつぎをする。勝手に上がり込むことはできない。
そしてメガトロンの妻子が暮らすこの屋敷のセキュリティは、防衛本部並みに堅牢なのである。並みのテロリストなど尻尾を巻いて逃げるだろう。
誰だ。
いや、もしかして、《何だ?》か。
そう、今日はハロウィンなのだ。

コツカツ、コツカツ、コツカツ……

背後の何者かと同じリズムで降りていく。背中に冷や汗をかきながら。
こんなことなら毎日曜日に、サンダークラッカーの誘いに乗って、聖堂での礼拝に参加すべきだった。結婚式に「神ではなく俺に誓え」と言い放った夫は嫌がるだろうが。

カツコツカツコツカツコツカツコツ、コツン。

階段の終わりが近い。
この先にはワイン貯蔵室。正直、今は一番行きたくない。
メガトロンが若い時分に、成り上がり者のそしりを歯牙にもかけずこの屋敷を入手した際にはすでにあったこのワイン貯蔵室、実はこの屋敷の歴代の当主が眠る地下墓地を改装したものであった。今でも貯蔵スペースの向こう、鉄格子と闇で隔離された奥の間には、石棺の群れが闇よりさらに寒々と佇んでいる。
結婚してすぐの頃、メガトロンに連れられワインを選びに来たスタースクリームは、昼間にも関わらずその光景に震え上がった。音速を超える戦闘機を操る恐怖は物ともしないが、朽ちた布と冷えて苔むした石、なによりすべての棺の蓋を長い石の杭が貫いている異様な光景は、胸をひやりとさせるのには充分だった。
メガトロンにはからかわれたが、それ以来、独りでここに来た事は無い。先程までかぶ飲みしていたワインも、執事に運んで貰った物だった。
この先にはあれがある。
そう二の足を踏んだスタースクリームのすぐ後ろで。

カツン!

「ヒッ!」
音のあまりの近さに振り返った、その拍子に濡れた石に足を取られ、スタースクリームは見えない腕に抱き止められるように闇の中へと転げ落ちて行った。

目を覚ました。
階段から落ちるなど我ながら間抜けだと思うが、起こってしまった事は仕方がない。
体内時計が気を失っていたのは数秒と告げる。
スタースクリームは石畳に叩き付けられたのに痛みの無い体を不審に思いながらも、ゆっくり身を起こす。
石の床。
埃っぽい空気。
けれどここはワイン貯蔵室でも地下墓地でもない。
地下ですらない。
スタースクリームは目を細めた。
青く霞んだ空気の中を、灰色の煙が流れてはほどけていく。遠くに見える針葉樹の、割れた黒曜石を思わせる尖端にかかる月だけが輝いて、白々と辺りを染めた。
その下でさえ墨を塗り込めたように黒々とした車体が、今、スタースクリームの目前に横たわっている。
汽車。
古びた、博物館でも無い限り今時見掛けない旧式の汽車が、確かにそこにあり、ぽっかり開いた乗車口から次々と男たちの列を身のうちに詰め込んでいく。
肌を切り息を凍てつかせる冷気も忘れ、目の前の光景にスタースクリームは見入った。
これは夢だ。
アナウンスもざわめきも、一切の音を排除した空間を見回し、スタースクリームは思った。
自分は夢を見ているのだ。
それ以外にはあり得ない。
フードを目深にかぶり、表情も分からぬ男たちが、しわぶきひとつたてるでもなく彼の前を横切って、汽車に乗り込んでいく。
辺りには何もない。民家も、駅舎でさえ。
列の最後尾が近づいてきた。
自分も乗り込んだほうがいいのだろうか?
夫が帰って来る、あの屋敷に帰るためには。

タラップに恐る恐る足を掛けたスタースクリームは、気づくと車内の中程に立っていた。
全ての席がうつ向いた男たちで埋まり、フードの白ばかりが目につく。まるで白鳥の群れを思わせるその間を、スタースクリームはソロソロと前列に向けて歩いていく。すると、緩やかな振動が足裏から伝わってきた。
いつの間に出発したのだろう、汽笛もなく。
全ての音が死に絶えた車内を、スタースクリームの足音だけが響く。

コツコツコツコツコツ

次の車両も、

コツコツコツコツコツ

その次の車両も席は埋まり、男たちは何者かに声を奪われたように一言も発しない。
何処に行くのだろう、彼らの目的地は何処にあるのだろう。

コツコツコツコツ…

カツン

ハッと通り過ぎてきた後部を振り返る。
誰かが後ろから来ている。
蒼いガラスの填まったドアの向こうに人影を見た気がして、スタースクリームは走り出した。
普通に考えれば車掌だろう。事情を話して切符を買い、空いている席を尋ね、この汽車の目的地を訊く…だが。
スタースクリームは何両過ぎても続く、白鳥の群れで埋まった車内を駆け抜けた。全ては夕暮れの紫紺に染まり、白鳥だけが淡い燐光を放って佇む、まるでスパークを透かせた輝きだ。
寒い。
息が結晶となって流れ、消えていく。
零れ落ちた光を宿して凍り付き始めた床を蹴り、スタースクリームはひた走った。
そして。
重い青銅の扉を、足首にしがみつくような冷気を振り切ってこじ開けた先には、誰も居ない車両があった。
凍り付いた天井、床、車窓からの青い街灯の煌めきを宿してプラネタリウムのように光輝く。
美しさに息を呑んだ時、気付いた。
無人ではない。
中程の席、唯一ボックスになっている、そして唯一凍り付いてもいないそこに、男がひとり座っていた。

カツンカツンカツン…

後ろからの足音にハッと振り返り、逃げ道を探して前を向いた時に気付いた。
目の前に男が座っていた。
いつの間にか、自分はあのボックスに居て、

カツンカツン

男の白い外套の中に、子供のように抱きこまれていた。
「黙っていろ」
夫以外の男に抱かれている焦りに暴れようとする体を易々と押さえ込みながらも、微塵の揺れなく低く囁く声に、スタースクリームは動くのを止めた。
男の外套と逞しい胸板からは、血と硝煙と機械油の臭いがした……かつて、戦場から帰還したばかりの夫と同じような。
あの頃は、夫は今ほど優しくなかった。
──行ってくるぞ、スタースクリーム。
出ていく時に、あんな優しい言葉を掛けてくれる事もなかった。
──スタースクリーム…。
今は何時なのだろう。もう、夫は帰宅しただろうか。
ワインの軽い酔いを見せて帰ってきたら、チクリと嫌味のひとつも言ってやろうと息巻いていたのが遥か遠い昔のようだ。
今はもうそんなものどうだっていい。
今はただただ、夫に会いたくて堪らなかった。

カツンカツン、ズルリ…。

「絶対にしゃべるな」
男の声に頷くより早く、席の傍らに何者かが立った。

ジュルジュルジュルジュルジュル、ベチャ。

いや、『者』だろうか、これは?男の膝に身を縮めて収まっている今、長い外套の下から唯一見えるのは床のみ。そこに伸びる、この影は…。
「未登録者は何処ですか?」
甘い、熱帯の蘭のような官能的な香りを纏って、薄い硝子を指で弾くようなその声は言った。
「この車両に逃げ込んだはずです」
男の硬い声が応じた。
「知らん。ここには居ない。見たこともない」
「確かに此方に来たのですよ?」
「知らん」
影がぐんっと、ヌガーのように伸びた。男に迫っているのだ。芳香はいよいよ濃く、狂おしくなり、すぐ足元、古びた木の床にポロリポロリと白いものが落ちる。
「未登録者は何処ですか?」
ポロリポロリ…
それはうごめき、這いだした。
蛆むしだ。
ポロリポロリポロ…
スタースクリームの驚愕の叫びを上げかけた口を、外套の中で男の大きな掌が塞ぐ。
「俺は知らない」
何が何なのか、何が起こっているか分からない。とにかく…とても恐ろしい。
だが、男の逞しい腕が守るようにいっそう強く自分を抱いてくれるから、スタースクリームはすべての恐怖を振り払って、男にしがみついていた。
夫と似た匂いの男に。
「隠しだてすると貴方のためになりません。貴方はさらに重い罪を負うでしょう」
「しらん。それに…」
男の声は絶望を纏って響いた。
「俺に、今以上の苦しみは無い」
「あなたは…」
「俺は知らない」
痛いような沈黙が流れた、そして、

──ズルリズルリ、ジュル…カツンカツンカツン……

ドアの閉まる音がやけに大きく響いた。

「──去った。とりあえず今は」
掌が離れ、ホッと息を吐くと、男の手が肩を押しやった。
気付くと向かいに座っていた、男と同じ外套を纏って。
向かいで男はうつ向いている、他の車両の男たちと同じく。
垂れた色褪せた銀髪、形よく通った鼻筋とその向こうの大きめな唇だけが、スタースクリームから見える全てだ。
「何か飲み食いはしていないだろうな」
唐突な問いは、実に奇妙なものだった。
「え?菓子とワインをやけ食いしたばかりで、腹が一杯だから…」
「ならいい。…油断するな、しばらくそうしていろ」
命令に慣れた声が言う。
普段であれば赤の他人にこんな物言いをされたら、プライドの高いスタースクリームは立腹するだろう。
しかし、今は何も感じなかった。むしろ心地よさすら覚える。
汽車が軽い振動を立てながら走る。窓の向こうを星の光が流れていく。
いつの間に夜が訪れていたのか…いや違う、ここは。地下だ。
地下水でも溜まっているのか、水飛沫を上げて汽車は走る。夜光虫の群れをの中を。
跳ね上げられた水が壁に付着し、その中でも夜光虫は明滅し、地上の星のごとく明るく輝いた。黄緑色に光る苔、蒼く紅く光る茸。光る壁面上を汽車を追って走る白い生き物のさえ、淡い光でトンネルに軌跡の絵を描く。群れの鳴き声が、幾重にも重なって、闇を震わせ車内までも響いた。

チリチリチリチリチ…。

ここは何処なのだろう?
「──お前は何故、ここにいる?」
それはこちらが聞きたかった。
自分はハロウィンの夜を、独りで過ごしていただけだったのに。
「…わからない」
「この先には闇に沈んだ世界しかない。お前はまだ来るべきでない世界だ。戻れ」
「どうやって?」
戻ろうにも、手段が分からない。帰れるならば今すぐにでも帰りたいのだ、我が家に。
「この先、トンネルを抜けると大きな河が流れている。汽車は鉄橋を減速して走行する。窓から河に飛び込め。他に道は無い」
無理だ、かぶりを振る。
内陸育ちの自分はカナヅチだ。
「他に道はない、やれ」
「でも…!」
「大事な相手の元に帰りたいのならば」
沈黙が落ちた。
戸惑いにまた外を見やると、ガラスに映りこんだ自分の顔が見える。情けなく歪む顔…。

──行ってくるぞ、スタースクリーム。情けない顔を止めて、いい子にしていろ。

そう言った彼の口の動きまで、自分は思い出せる。
あの時は、あんなに腹を立てていたのに。

──スタースクリーム…。

スタースクリームはうつ向き、躊躇の果てに頷いた。
宇宙の果てに失ったと思っていた彼のために、昔の自分はありとあらゆる苦をいとわなかったではないか。今更、河の一つがなんの障害になるだろう。
私はあの人に会いたい。
メガトロン様、貴方に会いたいのです。
「窓を開けるのを手伝おう。河中にかかったら、迷わず窓から飛び降りるのだ」
「わかった」
男はひとつ頷いて、再び二人の間には沈黙が落ちた。
出口はまだ遠い。
赤い瞳に夜光虫の輝きを宿して、スタースクリームは思わず尋ねた。
「貴方は…どうしてこの先に?」
闇に沈んだ世界しかないこの先に、何を求めて行くのだろう。
この男は。
そして沈黙の白鳥の群れは。
「なんなら、一緒に…」
「俺には」
男は言った。
「捜しているものがある」
「捜し物?」
「妻だ」
「妻…?」
「俺の身勝手により、独りで遠くへ旅立たせてしまった妻を捜して、俺は旅を続けている」
男の声は先程と同じく絶望的なまでの悲しみを纏って、冷えた車内に重く響いた。
「孤独と痛みと悲しみ以外を与えなかった妻だ。──俺の唯一、ただひとりの妻だったのに」
「貴方は…」
不意に窓に大きく水が跳ねて、スタースクリームがハッとそちらを向くと、前方から銀色の光の筋が差し込んでいるのが見えた。
出口が、そして河が近い。
「…やけ食いをしたと言ったな、何か嫌な事があったか?」
きたる河中での行動を思い、緊張に速まる鼓動を見透かしたのか、男の声は何処か柔らかかった。
たったそれだけで、緊張がほぐれていく。不思議だ、今日初めて会った相手なのに。
「メガ…夫が、子供を預けてせっかく二人きりのハロウィンの夜なのに、仕事に行ってしまって。それで寂しいから、つい……」
外套の下から覗く男の口許が笑っている。
頬が熱くなった。
確かに、なんとも幼稚な理由だと思う。子供だっているのに。
「夫が好きか?」
「え!?」
「些細な事で嫉妬する程に、夫を愛してるか?──幸せなのか、お前は、今?」
考える時間は不要だった。
「私がこれほど幸せになれるなんて、昔の私は想像もしていなかった」
そうか、男はそう言って笑った。
けれど、何故かその時のスタースクリームにはわかった。
そのスパークの内で、男は泣いているのだ…と。
「貴方は細君をみつける当てはあるのか?」
「無い。もしかしたら、俺を恨み、二度と会いたくないと思っているかもしれない。だが俺は必ず見つけ出す、どんな姿になっていても、俺を嫌おうとも、たとえ俺を忘れていようとも。そして……見つけたら、もう二度とあいつを手離さない。死にさえ、生にさえ、俺たちを引き裂かせたりはしない」
男の口が歪んだ。
「俺は…愚かだった」
サッと汽車を銀色の光が貫いた。
トンネルを抜けた!
「だが、もう迷うことはない。幾度、この身を地獄の焔に焼かれようとも!」
男が窓に両手を掛け、途端、男の両腕は青く燃え上がった。炎の蛇が白い外套を焼きながら這い登り、瞬く間に頭部にまで達する。
「おい、手を離せ、火が…!」
「俺の仕事だ」
制止を無視して、男は両腕に満身の力を込めた。
ギリギリと開いて行く窓より、スタースクリームは男から目が離せない。
焼け焦げた外套が、次々と床に落ちる。
脱皮するように下から現れた、埃と血に汚れた戦闘装備の白銀色。白銀の髪。男らしさと厳しさを兼ね備えた美貌。
ああ、どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。この腕に抱かれ、その匂いに包まれた時に。
たとえ半顔に酷い傷を負っていたとしても、この自分が見誤るはずがない。
「メガ」
「さあ、行け、別の世界のスタースクリームよ!」
窓は完全に開き、メガトロンは背中のショットガンを抜きはなつなり立て続けに撃った。
ドア向こうで、熱帯の蘭の香りと水音が弾ける。破壊されたドアの破片を乗り越えて、全身から七色の体液を噴き出させた白い塊が這いずってくる。幾つもある青い目を怨みに鈍く輝かせて。
「メガトロン、諦めの悪いやつ!これで何度目だ。何千何万回繰り返そうとも、お前はお前の愛した者に会えはしない!それがお前にプライマスが与えもうた罰だ」
「ならば、俺は会えるまで何度でも繰り返そう」
「無駄な足掻きだメガトロン。お前は何度アレを探した。そして何度その後ろ姿も見ずに終わった!最早アレのスパークは跡形もない。お前は誰も幸せに出来ない、それが破壊大帝たるお前の運命」
「俺は運命を信じない。ただひとつの真実は、こいつだ!」
炎を纏った指が、空を切って、流星のようにスタースクリーム差し示す。
「プライマス、こいつを視ろ!その傲慢な眼でこの麗しい、幸せに磨かれた姿を。別の世界で【俺】は、愛しい【妻】を確かに手に入れたぞ!!」
メガトロンの銃が再び火を噴き、開けた窓から侵入しかけた白い化け物は二つに裂けて、蘭の香りを撒き散らしながら闇の向こうに落ちていった。
「行け」
スタースクリームは動かず、燃えるメガトロンの腕を躊躇いなく掴んだ。
手が痺れるように冷たい。これが死の温度か。
「貴方もです」
向かい側の窓にびっしり貼り付いた化け物を、一人でどうにか出来る訳もない。「二人で、貴方のスタースクリームを見つけるんです。貴方を、きっと、待っているから」
涙が溢れる。これは自分の感情ではない。
これはきっと、この世界の〔自分〕の感情だ。
「スタースクリーム」
「愛しています、メガトロン様、貴方の〔私〕もきっとそう。どんな姿になっていようとも、貴方を恨んだりしない。仮に恨んだとしても、貴方への愛を喪ったりはけしてしない。だって私の心には、いつだって貴方しか居ないのだから」
〔私〕に産まれて、貴方に恋せずにいられるわけがない。
「スタースクリーム…」
「貴方が好きです」
冷たい炎を纏ったメガトロンの胸に抱き寄せられ与えられた、彼らしくない触れるだけのくちづけは、やはり死と、そして紛れもなく…彼の涙の味がした。

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「お前は可愛いな」
涙の流れる頬に優しく触れて、このうえなく優しい顔で、彼は囁いた。
「生きているうちに、あいつにも言ってやればよかった」
「メガ…!」
「さあ行け、躊躇わずに。みずからが定めた永遠の伴侶の手元に帰れ!」
勢いよく突き飛ばされた体は、窓を越え、真っ直ぐ水面も見えぬ遥か彼方の河へ向かって吸い込まれていく。
「メガトロン様!!」
手を伸ばしたスタースクリームの目が最後に捉えたのは、飛び付いてくる白い化け物を蹴散らしながらいよいよ青い炎の柱となって、キラキラと火の粉とスパークの欠片を撒き散らしながら汽車の屋根を駆ける雄々しい姿と、
「スタースクリーム、スタースクリーム、俺はここだ、ここに居るぞっ!」
凍った虚空に向かって妻の名を呼ぶ、悲痛な声。

「俺は…!」

落ちていく。
落ちていく。
着水の気配も無く、スタースクリームはひたすらに落ちていく。
暗闇の中に、ぽつり、ぽつりと灯る明かりを蹴散らして、戦闘機でも経験が無い程の速さで、川底に明るく光る穴を目指して。
──メガ様!
呼んだのは果たして、どちらのメガトロンだろう。
自分でも判らぬままスタースクリームの姿は一筋の光の矢となって、溢れる光の中に吸い込まれて、そして。
そして

「スタースクリーム!」

ガクンッと体が傾く感覚が、不意に止まった。
胴に回された腕と、こめかみを流れる汗の感触を妙な生々しさで感じる。
──帰ったのか?
いや
いや、どこから帰ると言うのか、さっきまで自宅のキッチンでくだを巻いていた自分が。
そう、自宅に…自宅?
私は

「この、愚か者がァ!!」

混乱しかけた思考を強引に現実に呼び戻したのは、耳元で爆発した怒声であった。
「なっ、なんなんですか、もー!」
耳鳴りにくらくらしつつも、スタースクリームは振り返る。
勿論、自分を片腕で支えているのは夫だった。この屋敷で、いや、この世で自分をこんなふうに扱うのは、この夫しかいない。他に居ては堪らない。
「なんだは此方の台詞だ、この愚か者め!わざわざ早く帰ってきてやったのに我が妻は出迎えにも来ず、その上、酔って危うく階段から落ちかけていたのだからな!お前を愚か者と呼ばず何と呼ぶ」
「いや、だから声が反響して耳が…──え?わざわざ早く?え?」
スタースクリームの足が狭いながらも平坦な階段の上に乗っていると判断し、胴から腕を離した夫は、今度は妻の顎をくいっと上向け、犬歯を覗かせた彼らしい笑みを見せた。獲物を発見した森林オオカミの笑みを。
「レーザーウェーブから、お前がハロウィン用の下着を新調したと聞いた。…これで帰らない男は『夫』の名を返上すべきだな」
「いや、そんな、あの、別に私は…!」
──レーザーウェーブ、あのおしゃべり野郎め!
愚痴った上に口止めしなかった事は忘れて、スタースクリームは内心で喚いた。
実際にも喚きたいくらいだったが、現実の口は夫の強引なキスを受け入れるのに忙しく、一段高い位置にいる夫のせいでいつも以上にのけぞった白い喉に混ぜ合わされた唾液が一筋伝い落ちる頃には、スタースクリームの中で文句など何処かに消え失せていた。
仕上げとばかりに下唇をやわやわと噛んでから離れた夫の唇を、ぼんやりと見詰める。

──お前は可愛いな

チリッと記憶の中で、そんな言葉が明滅した。夫も極々たまに(主にベッドでの最中に)口にする言葉だが、こんな切ないほど優しい声で言った事はない。
誰の言葉だ?
「ワインを選ぶなら好きにしろ、俺は先に寝室に居るぞ」
言い置いた夫が、背を向けて階段を上り始める。パーティー用のタキシードの上質な黒に包まれた背中が、すらりと伸びたまま遠ざかっていく。

カツンカツンカツン…。

革靴のたてる硬質な足音が遠ざかっていく。
視界の隅に、青白い炎がよぎり、不意に胸を覆う不安と悲しみ。

──メガトロン様、私は…ここに居ます

果ての見えぬ海岸で、手探りで銀の貝殻を探しながら、自分が泣いている。最愛人の名を呼びながら、独り無人の地を行く。どこまでもどこまでも。
遥か上空で青く輝く炎の星は、両目から血の涙を流す彼には見えない。

メガトロン様
メガトロン様
メガトロン様
私は

「──うおっ!?」
後ろから突然、追突の勢いで抱きついてきた妻に、さすがのメガトロンも驚いた。
だが、「何をする愚か者!」という叱責が、彼の口から放たれる事はない。
密着した体が震えている。震えながら、さらにすがりついてくる。回された常ならぬ冷たい手に、メガトロンはその上に手を重ねた。
「どうした、そんなに寂しかったのか?」
「はい…いえ……よく分かりません。でも、貴方の傍に居たかった」
泣いているのか、掠れた声で妻は囁いた。
メガトロン様、私は永遠に貴方のお傍に居たいのです…と。

自分が突然口走った言葉を自分で理解する暇もなく、目の色の変わった夫に壁に押し付けられ何度も深いキスを仕掛けられ、半ば腰を抜かして担ぎ込まれるように寝室の夫婦のベッドに放り出され、せっかくハロウィン用に新調した下着を堪能する余裕も無く脚を開かされ、いつも以上にいきりたった夫の性器が荒々しく押し入ってきたのは、まだ日付が変わるまで間がある時刻だったはずだ。
だが、すっかり満足した夫が体内からトロリと体液の糸を引きながら出ていった今、窓の外はうっすら白くなりつつある。
過ぎた快楽と疲労に弛緩した表情をなんとか引き締めて睨んでみても夫は余裕で、性交の激しさのあまりベッド下に落ちていた枕を拾い上げ横になった。当然の権利のようにスタースクリームを胸に抱き寄せて。
こんなふうにされては、不機嫌も持続しない。
「眠れ」
優しい声と乱れた髪を撫でる手、そして汗によって強まった体臭と温もりを感じると、疲労した肉体は容易く眠りの波に揺られていく。
疲労の局地での眠りのせいか、それとも朝方に眠ったせいか、
「眠れ、ずっとお前の傍に居てやるから」
そんな夢とも現ともつかない囁きを聴きながら眠りの海に沈んだスタースクリームは、不思議な夢をみた。

海岸に立っていた。
何処までも続く、生き物の姿も無い、蒼い陰りに沈んだ砂浜に。
目の前には自分がいる。汚れ半壊した戦闘装備姿で、閉じた両目から血の涙を流しながら、手探りで砂を撫でている。
メガトロン様
メガトロン様
メガトロン様
声にならない声で呼びながら。
波の音すら無いこの沈黙の海岸で、いくら呼ぼうとも誰にも届かない。
メガトロン様…
その時だった。
上空で青い炎の星が輝いたのは。
自分は知っている、〔私〕の夫が何処に居るのか。どれ程の悲しみと後悔の中、〔私〕を捜しているかを。
「スタースクリーム!」
鋭い声は勿論音にはならなかったけれど、
「スタースクリーム顔を上げろ、お前の夫は、彼処だ!!」
指はあやまたず天上を貫いた。
初めて顔を上げ、〔スタースクリーム〕は、めしいた目に喜びの涙を滲ませ地を蹴った。傷ついた体を鞭打って、涙も、悲しみさえも振り切って飛んで行く。高く高く、金色に燃える星々の間を抜けて、いつしか〔私〕も金色の炎となる。重い肉体を捨て去って、一羽の金色のハヤブサが夜空を二つに割って空の彼方を目指して飛んでいく。

ああ、ようやく見つけた
わたしの大切な人
もうはなさないで
もう二度と独りにしないと誓って

あなただけを目指して飛んでいく私を

青い星が爆発し、燃え上がる。空が金色と青い輝きに包まれて、生き物の影すら無かった海岸に花が咲く。降り頻る光の粒子に蕾が弾け、零れた光が海岸を埋める。
光溢れる天と地の狭間で、スタースクリームはその時確かに見た。
金色のハヤブサを胸に掻き抱いた男が、青い炎の向こうから此方を見て、幸せそうに笑ったのを。

俺は誓う。もう二度と、この手を離したりはしない。永遠に。
永遠に…お前と一緒だ、スタースクリーム。

目が覚めると、まだそこは朝方の青白い寝室であり、夫の腕の中だった。
夢をみたのだと思う。
どんな夢かは忘れてしまったけれど。
ただ涙が溢れ、スタースクリームは夫の胸に頬を擦り寄せ、小さく囁いた。
「私を独りにしないで」
「…当然だ」
寝ているとばかり思っていた夫の優しい言葉に安堵して、スタースクリームは再び目を閉じる。
夢をみる事はもう二度と無かった。

後日談。

この家の主は俺だぞ。
そう主張したくても出来ない状況と言うのが時に存在する。
例えば、今だ。
メガトロンは妻がよくコーヒーを淹れる狭苦しいキッチンでひとり、キッチンテーブルに着いて、執事が用意していった紅茶だけを供に読書にいそしんでいる……大掃除のために書斎からも居間からも子供部屋からも追い出された今、他にすることが無かったのだ。
──外出してきては?
突然呼び出され、書斎の整頓の為の書類・書籍の分類をかつての同僚と現在も進行形の同僚に命じられ、さらには同伴してきたラヴィッジを子供たちの遊び相手として(そして猫質として)ジェットファイヤーにむんずと連れ去られた哀れな情報参謀に不機嫌を隠しもしない声で言われたが、その案を実行に移す事は無かった。
出来るわけがないではないか。
あまり料理の得意ではない妻が、今、厨房からコックやキッチンメイドを追い出して昼食の支度をしているのだから。
祖父とかつての同僚たちと家族が揃う晴れの日の為に、何日も前からパーティ料理の本を何冊も並べて密かに用意をしてきた妻の努力を無下にするなど、いくら破壊大帝として故郷セイバートロンを二分した戦いを巻き起こした自分でも、到底できることではなかった。
──まあ、たまにはこんな日もよかろう。
夜は毎年恒例の、部下たちも呼んでの年越しのパーティーだ。子供たちは義理の祖父に、奥むきの采配はレーザーウェーブに任せられる今日は、準備が本格的に忙しく夕方前に、そう三時あたりに、おやつとして清潔になった書斎で妻をつまみ食いでもするか、そろそろ次の子供を検討してもいい時期だしな……そんな建設的な事を考えながらメガトロンはページを捲ろうとし、そしてふと手を止めた。

「メガ様!!」

ホウキを片手にした酷い格好の妻が駆け込んで来たのは、彼の手が再びページを捲り始めた時だった。
「どうしたスタースクリーム、ゴキブリでも出たか?貸してやろうか?」
テーブルに置かれたワルサーに気勢を削がれ、妻の肩から力が抜けた。
「物騒な物を持ち歩かないで下さい。子供たちがイタズラしたらどうします」
彼はメガトロンからの贈り物である白いエプロンの汚れを叩きながら、辺りを見回した。
「メガ様、ここに猫は?見掛けませんでしたか?」
「猫?ラヴィッジなら子供たちの相手だ」
「違いますよ!それにあんな巨大なの、猫じゃあないですし。──野良猫です、白と言うか灰色と言うか、大きな猫」
ペラリとページが捲れる。
「さあな。…その猫が何かしたか?」
「とんだ泥棒猫ですよ!さっきハムを盗まれました、とっておきだったのにっ!!」
思わず声を立てて笑ってしまう。
かつて敵方の戦闘機乗り達から悪魔のように恐れられ(傍受した『スタースクリームが来たぞ!』という痙った声には、実に何度も笑わせて貰ったものだ)ていた奴が、ハムの一枚や二枚なんだというのか。
「笑い事じゃないです!均等に切って、人数分しかないのに!」
より膨らんだ頬にますます笑いを誘われながら、メガトロンは妻の腰に腕を回して膝の上に引き寄せた。
何度かキスしてやると、すぐに妻は目を潤ませて肩から力を抜く。
いつもながら、単純すぎる妻だ。
しかし、こうして欲しくてわざと怒っている可能性もないではないから油断ならない。
単純なようでいて突然此方をぎょっとさせる奴、だから妻との家庭に倦怠という言葉は無い。今年のハロウィンも、この自分を十代の少年のように興奮させたのだから、大した奴だ。
「ハムは常備ので大丈夫だろう、どうせたいして美食家も居ない席だ」
「はい…」
濡れた唇を指で辿られてうっとりしていた妻だが、視界に入った時計にハッとして身を起こす。
「ヤバッ…アンチョビポテトグラタンが焦げる!ーーで、では失礼します、メガ様!!」
若干香ばし過ぎる匂いが漂ってくる方向に、航空部隊時のダッシュ訓練にも勝るスピードで走り去った(どうやら体は鈍っていないようだ)落ち着きのない妻を見送ってから、メガトロンはテーブル下に声を掛けた。
「行ったぞ」
すると言葉を理解しているかのように、のっそりと大型の雄猫が姿を現した…口にしっかりと厚切りのハムをくわえて。
妻は『白と言うか灰色と言うか』と表現したが、汚れているものの猫は見事な銀の毛色の、体格のいい、実にいい猫だった。喧嘩をしたのか、あちこちに怪我をしていなければ、コンテストにも出品できただろう。
その毛を揺らめかせ、恩人も無視して、凱旋将軍のごとく堂々とした足どりで猫が向かうのは、地下のワイン貯蔵室に通じる扉…誰が閉め忘れたのか、隙間から恐る恐る様子を窺っているもう一匹の猫の元だった。
床に置かれたハムに銀毛の猫は口をつけず、代わりにヨロヨロと近付いて食べ始めたのは、待っていた、一回り小さいクリーム色の猫だった。覚束ない動作の理由は、勿論その閉じたままの目だろう。
クリーム色の猫は盲目で、そのうえ妊娠していた。
どう見てもこの雄々しい猫の伴侶には相応しくない、ただひたすら守ってやらねばならぬ弱い命だった。
「お前の妻か?」
空腹だったのか、夢中で食べているクリーム色の顔を優しく舐めてやりながら、周囲への警戒も怠らない猫に、思わず声を掛ける。
「お前はお前の家族を守っているのか?」
動物に話しかけるなど自分らしくないと分かってはいるが、それでもつい話しかけたくなるような何かがこの銀毛の猫にはあった。
まるで、そう…旧知の友に再会したかのような。
雄猫は完全に無視を貫き、ただひたすらクリーム色の猫を気遣っていた。他の事などなにひとつ目に入らないと言うかのように。クリーム色の猫も喉を鳴らし、相手の毛皮に額を擦り寄せた。互いから、互いへの、深い思いを感じる。片時もその傍を離れたくないと。
「お前はそんなにも妻を深く愛しているのだな」
メガトロンはその時、腹心の部下さえ見たこともないほどに優しく微笑んだ。
「奇遇だな、俺もだ」
ひょいと、猫が顔を上げた。
一匹と一人の同じ色の視線が混じりあう。
ふと、何かがスパークを通り過ぎ、メガトロンは今まで一度も感じた事のない憂愁にも似た感情に満たされた。しかし、

カツンカツンカツン…

二匹の猫はハッしたように身を強ばらせ、次の瞬間にはもうドアの隙間へと滑り込んでいた。
「閣下、おくつろぎの所を申し訳ありません、新年のスケジュールの件で確認したい事があるのですが。それと、廃棄書類の事でサウンドウェーブが……閣下?」
やって来たレーザーウェーブは、床に落ちたハムらしき欠片をじっと見詰めている主人の静かな横顔に怪訝な声を上げたが、すぐに此方を向いた精悍な美貌は、いつもと同じ自信に満ちた落ち着きの中にあった。
「来年のスケジュールの件は、プライムとも要相談だ、明日にしてくれ。書類の件はサウンドウェーブに一任していい、俺より分かっているはずだ」
言いながら、メガトロンが立ち上がりキッチンから出ていこうとするのを、レーザーウェーブは思わず呼び止めた。
「閣下、どちらへお出掛けですか?もうすぐスタースクリームが昼食を…」
「ああ、だからそれを手伝いにな」
「────え…?」
「あいつの傍に居てやりたくてな」
あまりの驚きに、ポカンと口を開けるという珍しい表情を見せる忠臣の横を笑いながら通り過ぎたメガトロンは、そのまま足早に厨房へと向かう。
家族の為に奮闘しているだろう、可愛い、愛しい妻のその傍らを目指して。

《終わり》

階段を駆け降りていく。
闇へ向かって、長い長い階段を。
あいつらが来る。
立ち止まる事は出来ない。
引き離されたくない。
もう二度と。
大丈夫か?
はい、大丈夫です。
いつの間にか四本足は二本足になり、見えない目で懸命についてくる妻の手を握って、一目散に駆ける。
大丈夫か、辛くはないか?
妻は笑って頷いた。
貴方と居られる生に、辛さなどあるはずがありません。
華奢な手を、全ての想いを込めて強く握った。
俺は誓う。
もう二度と、この手を離したりはしない。
永遠に。
永遠に…お前と一緒だ、スタースクリーム。

 

 

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はい、はい、はい!もう続きが届くたびにウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!!てなってた方、ガイ太です!!
最初はフフフかわいいなぁスタちゃんたらぁ!とかニヨニヨしながら始まったのに途中からすごく切ないし悲しいしでわんわんして。
すごくきれいななのに、すごく冷たい世界で、それでもお互いを探し続けるメガスタにものすごくグッと心臓を鷲づかみにされたのでした・・・!!!
「〔私〕に産まれて、貴方に恋せずにいられるわけがない」
っていうスタスクの言葉がものすごく好きだ・・・!!

菊地さんありがとうございましたぁ!調子のって落書きのせましたぁ!すいませんでしたぁ!!orz
あああもうしやわせ・・・!!!

 

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